第014回 奈良時代の文化 : 天平文化

第014回 奈良時代の文化 : 天平文化 (天平年間に広まりました)
 
700年代の出来事です。(8世紀ころ)
 
ポイント:天平文化の特色を覚えましょう。
 
その1 天平文化について
 
ここでは、奈良時代の文化についてお話をしましょう。
 
日本の国の政治や経済は、お隣、唐(中国)の制度や文化に学んでできたものです。
 
朝廷は、当時、遣唐使を唐に何回も送っていました。
 
習字でもお手本があったほうが、きちんと書くことができるように、
 
朝廷は、朝貢を兼ね合わせて、唐の文化や制度も持ち帰らせたのです。
 
ここで、『遣唐使』について詳しく説明しておきましょう。
 
この遣唐使は630年に始まり、894年まで続きました。
 
630年に送られた第1回目の遣唐使は、犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)を中心に送られ、
 
いろいろな意味で、『あぶない!』ということから、894年に停止しました。
 
ちなみに、朝廷に遣唐使の停止を訴えたのは、学問の神様である『菅原道真』です。
 
20回派遣しよう!これが当初の計画でしたが、実際には16回のみの派遣で終わりました。
 
遣唐使には、僧や学生も加わり、唐の制度や文化を現地で学び、日本に持ち帰ってきたのです。
 
もちろん、持ち帰った唐の制度や文化を広めたのは言うまでもありません。
 
こうした遣唐使のなかには、唐の朝廷の高官になった阿部仲麻呂もいます。
 
すごいというか、要職についたら、帰国できませんよね。
 
どうしたんでしょうか。調べてみてくださいね。
 
聖武天皇のプロフィール(701~756)
 
奈良時代に在位していました。
 
文武(もんむ)天皇の皇子(おうじ)です。
 
元明天皇の皇太子となり、742年に即位しています。
 
聖武天皇は、藤原不比等の娘を皇后にしました。
 
教科書にある光明皇后です。
 
天皇として、はじめての皇族ではない人を皇后にした人、その人こそ、聖武天皇なのです。
 
政治は仏教を基調として国ごとに国分寺や国分尼寺を建立しました。
 
都には、東大寺を立て大仏をつくらせました。現在の大仏は当時のものではありません。
 
台座のみ当時のものです。2回ほど、焼けちゃってますから。
 
というわけで、天平文化の特色は…
 
『都を中心に、仏教と唐の文化の影響を強く受けた貴族的で国際的な文化』
 
です。
 
覚えておきましょう。現在の日本は、
 
『国際化ができるか?』なんて言われていますが、
 
奈良時代には、もう、国際的だったんですよ。
 
このころも島国であった日本。いつから、島国根性が根付いたんでしょうか。
 
調べてみると面白いです。ぜひ、調べてみてくださいね。
 
では、『天平文化』をまとめてみましょう。
 
天平年間(729~749)を中心に栄えました。ネーミングしかりですね。
 
日本国内は、律令制度が確立していました。覚えていますね。
 
律と令。なにが『律』でなにが『令』でしたか?
 
さて、遣唐使も送られ、唐の文化がたくさん入ってきて時代です。
 
そんなとき、聖武天皇は、仏教を基調とした政治を行ったのです。
 
奈良の東大寺、興福寺、唐招提寺の建立、そして、仏像に天平文化の特徴が表れています。
 
そして、東大寺の正倉院(シルクロードの終着点)には、シルクロードを伝わってきた
 
さまざまな道具や楽器がおさめられています。
 
ちなみにこの正倉院は高床式の校倉造で、三つの倉に分かれています。
 
おさめられたのは、聖武天皇の死後、奥さんである光明皇后によっておさめられました。
 
その道具や楽器は、西アジアやインドからきているのです。
 
きっと、ラクダにでも乗せて、トコトコ…
 
長い道のりと時間をかけて、日本にやってきたのでしょうね。
 
いまは、ジェット旅客機でブーン!
 
昔は、ラクダでトコトコ…
 
想像してみてください。
 
暑かったり、寒かったり、悪い人たちに襲われたり…。
 
ロマンチックでしょうか。それとも、怖かったでしょうか?
 
それでは、『東大寺』についてお話しましょう。
 
華厳(けごん)宗の総本山です。南都七大寺の一つです。
 
立てた人は、大工でしょうけど、命令した人は、天武天皇です。
 
あの『奈良の大仏』は、東大寺にありますが、
 
『慮舎那(るしゃな)仏』といいます。
 
この『東大寺』は、国を守る大事なお寺となり、荘園も広かったのです。
 
つまり、かなりの権力ももっていことでしょう。
 
その2 奈良時代の社会、そして、仏教
 
聖武天皇と光明皇后は、仏教の力にたよります。
 
そして、国を守ろうとするのです。とても、信心深かったのでしょう。
 
いまでこそ、政教分離ですからできませんが、当時は許されていました。
 
さきにも書きましたが、
 
国ごと:国分寺と国分尼寺を建立しました。
 
都:東大寺(先に説明してあります)が建立されました。
 
国分寺の正式名称は、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)
 
741年に聖武天皇により、建立されていきました。
 
その目的は、何度も書きますが、貴族や皇族の争い、ききんなどを
 
『仏教の力でしずめよう!』
 
でした。
 
総国分寺:東大寺(奈良)
 
建立の目的は同じですが、尼のための寺が、『国分尼寺』といいます。正式名称は…
 
法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)
 
総国分尼寺:法華寺(奈良)
 
さてさて、
 
当時の僧たち:
 
 ① 税や刑罰は免除されていました。
 ② 国家を守ることが義務づけられました。
   もちろん仏教の力を使いなさいと言われていたのは当然です。
 
そのなかでも、『行基(ぎょうき、668~749)』の活躍についてお話します。
 
河内国(かわちのくに)に生まれ、奈良の寺で修行しました。
 
そして、布教活動をしに各地をまわって歩きました。
 
その途中…
 
道路や橋、用水路をつくりました。もちろん、人助けですよね。
 
ところがです。
 
僧が守らなければならないきまり…
 
それに違反したとして、弾圧を受けてしまいます。
 
それでも、負けない行基。
 
東大寺の大仏造営に協力して、大僧正(だいそうじょう)を
 
聖武天皇から与えられたのです。よかったですね。
 
その3 歴史書、そして、万葉集
 
奈良時代…
 
国家は、天皇(朝廷)を中心とする政治を行い、
 
国際的にも交流がさかんになりました。遣唐使でしたね。
 
そうなると…
 
日本ってどんな国?
 
なんて、質問されたら、どう答えますか?
 
いつ、日本はできたの?
 
だれが、初代天皇?
 
いろいろ、聞かれて困っていたら、外交なんてできませんよね。
 
というわけで、
 
1.日本の国のおこりを調べよう。
 
2.天皇が国を治めるいわけを確認しよう。
 
ということになったんです。
 
古事記と日本書紀:神話や伝承、記録をもとにまとめた歴史書
 
風土記:地方の国ごとに、自然、産物、伝説などを記してあります。
 
万葉集:大伴家持(おおとものやかもち)が奈良時代の末に和歌まとめました。
 
それでは、一つ一つ、詳しく見ていきましょう。
 
『古事記』
 
天武天皇のときに編纂(へんさん)がはじまりました。
 
帝記(ていき):代々の天皇の記録
旧辞(きゅうじ):神話や伝承の記録
 
この二つの誤りを直し、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記、
 
そして、太安万侶(おおのやすまろ)がまとめました。
 
完成したのが、712年。全三巻。
 
上巻:天地のはじまりから天孫降臨(てんそんこうりん)まで(神々の物語)。
中巻:神武天皇から応神天皇までの英雄伝説。
下巻:仁徳天皇から推古天皇までの物語。
 
『日本書紀』+『古事記』=『記紀(きき)』
 
『日本書紀』
 
舎人親王(とねりしんのう)らにより編纂(へんさん)されました。
 
完成:720年。全30巻。
 
帝記(ていき):代々の天皇の記録
旧辞(きゅうじ):神話や伝承の記録
    +
氏族(祖先を同じにする血族集団、つまり親戚関係)や寺院の記録、朝鮮の歴史書を
 
元にまとめられました。
 
神々の時代から持統天皇までの内容が時系列に記されています。
 
『風土記(ふうどき)』
 
713年、地方の国ごとに、地名の由来、自然、産物、伝説などを報告する命令が
 
だされました。編纂(へんさん)にあたったのは、国司や郡司(ぐんじ)。
 
現存するのは、常陸(ひたち)、播磨(はりま)、出雲(いずも)、豊後(ぶんご)、肥前(ひぜん)の5つの国のもの。
 
全部がのこっているのは、出雲国風土記(いずものくにふうどき)のみ。
 
『万葉集』
 
770年、大伴家持(おおとものやかもち)がまとめました。
 
仁徳天皇から759年までの和歌:約4500首が20巻にわたりおさめられています。
 
作者:天皇、貴族、防人、農民など多岐にわたっています。
 
代表的な歌人:額田王(ぬかたのおおきみ)、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、
       山部赤人(やまべのあかひと)、山上憶良(やまのうえのおくら)
       大伴家持(おおとものやかもち)
 
奈良時代の文化(天平文化)のキャッチフレーズを考えよう。
 
『仏教と唐の影響を受けた国際的な文化』
   
今日は、この辺でおしまいにします。

 


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