第056回 日清戦争のはじまりと結果
19世紀後半のお話です。(1850~1900)
ポイント:日清戦争のはじまり、そしてこの戦争が及ぼした影響について学習しましょう。
その1 日清戦争のはじまりは?
甲申政変、覚えていますか。前回、東アジアの動きを見ましたね。
さて、この日清戦争でのポイントはいくつかありますが…
① 明治維新以降、日本が初めて体験した対外戦争。
② 朝鮮の主導権争い:日本と清の対立(朝鮮国内でも親日派 VS 親中派)
③ 欧米のアジア進出
このようなことを頭に入れておくとわかりやすいと思います。
そして清と日本の主張する朝鮮の関係はというと…
清:朝鮮への宋主権を主張
日本:日朝修好条規を結びました。(内容も見ておきましょう)
『日朝修好条規』:朝鮮にとり不平等な条約です!!もちろん日本に優位です。
江華島事件後、1879年に日本が朝鮮が結びました。
① 朝鮮を独立国と認める。(清国の属国ではない!)
② 釜山(プサン)など3港を開港
③ 日本だけの領事裁判権を認める
④ 日本の商品に関税をかけない
これらは、復習です。覚えているでしょうか。
この時期、政治経済が混乱していた朝鮮。
日本と清は、朝鮮をめぐり主導権争いで対立を深めていました。
清:朝鮮への宋主権を主張。
日本:清と朝鮮の主従関係を否定。
両国の考え方は、全く違いますよね。
もっとも、日本は、『征韓論』もあったくらいですから。
1894年に朝鮮半島南部で『甲午農民戦争』がおきます。
東学を信仰する団体を中心とした農民たちによる戦争です。
東学に対して西学もあります。調べてくださいね。
この『甲午農民戦争』の目的は、
① 政治改革をしよう!(腐敗した役人の追放)
② 日本をはじめ欧米諸国など外国勢力の排除
甲申政変のとき、伊藤博文は清に行っていました。
その理由は、清の李鴻章(りこうしょう)と『天津条約』を結ぶためでした。
じつは、この条約は教科書に載っていません。
でも、じつはこれ…
日清両国は朝鮮から撤兵し、今後朝鮮に出兵するときは、お互い事前通告すること!
って約束したんです。それが、この『天津条約』の内容です。
天津甘栗はおいしいんですけど…この条約は、あとで日清戦争のもとになる約束になっちゃうんです。
つまり、この『甲午農民戦争』において朝鮮政府は清に対して出兵を要請するんです。
もちろん、これだ!とばかりに清は朝鮮に出兵します。
となると…あの『天津条約』によって、その清が朝鮮に出兵したことが日本に伝わるってことに…。
当時の日本の世論を覚えていますよね。
どうでしたか。朝鮮に対しての日本の世論!
うーん、〇○○だったですよね。
まず、清と朝鮮の関係を認めな-い!まるで、三角関係ですよね。
『清が朝鮮に出兵』と聞いて黙っていられない日本は、朝鮮に出兵したのです。
ですから、一応、『甲午農民戦争』が名目で朝鮮に清は出兵していますが、
お互い、いい機会だったのかもしれませんね。
日清戦争で決着をつけてやる!
っていうのが、両国の思惑だったのかも知れません。
というわけで、日清戦争が起きたのが、1894年8月のことでした。
戦場のほとんどが朝鮮。
漢城(ソウル)、平壌、台湾などで戦争が起こり、
日本は、遼東半島、山東半島まで進軍して1895年に終了。
とんだとばっちりを受けた朝鮮。
約1年間にわたり戦争は続きました。
当時の明治天皇や伊藤博文は戦争に対してあまりよく思っていなかったと言われています。
では、だれが清と戦争をしたかったというと、そう、陸奥宗光、そして川上操六参謀部次長と言われています。
日本軍は東アジア最大と言われていた清の艦隊を破ったのです。
ところで、日清戦争による戦死者の原因多くは病気でした。脚気(かっけ)。
なんと、ビタミンB1 の不足による病気だったんですよ。
日清戦争では、日本の勝利で終わりました。そして、下関条約が結ばれたのです。
講和会議は、下関で行われました。(1895年5月 下関条約)
その内容は…
① 朝鮮の独立を認める。(清の宋主権を否定することになります)
② 遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲る。
③ 賠償金2億両(テール:当時の日本円では、約3億1千万円)
日本からの出席者:伊藤博文首相、陸奥宗光外務大臣
中国からの出席者:李鴻章全権大使
ただ、②の遼東半島に関しては、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉により
返還せざるを得なかったのです。
一方、台湾では…
① 台湾総督府を設置
② 植民地支配
もちろん抵抗する住民は武力で制圧したのは、いうまでもありません。
2 中国を侵略しよう!
中国の歴史がくずれた!清は弱体化していきます。
一方、朝鮮では、大韓帝国(韓国)って独立したので国名を改めました。(1897年)
3 東アジアでは…:このあたりから、『日清戦争』への道すじがつくられていきます。
勢力争いがずーっと続いていたのです。
朝鮮半島を中心に、日本、朝鮮、清の間で色々な争いが起きていました。
当時、日本は日朝修好条規を朝鮮と結びました。覚えていますか。
是非、復習してくださいね。
清はというと、朝鮮への宗主権を主張していました。
宗主権 = 宗主国がそれに従う国(従属国といいます)に対して持つ権限
まず、宗主ですが、その地域の覇権をにぎる人のこと。
そして…一般的に『内政干渉』はできません。
ほかの国の政治に口出すな!
ということです。
しかし、従属国ということは、多少なりとも関係が宗主国とありますよね。
だから、内政に干渉できるかどうかは宗主国と従属国との関係でさまざまです。
ふつう、従属国の外交権を宗主国がにぎっていることが多いです。
というわけで、清の主張は…
清:宗主国 朝鮮:従属国
清は、この関係でいたーい!日本は、そんな関係、痛ーい!
ということです。
では、朝鮮国内では、
『親日派 vs 親日派』 の対立が激化していました。
親日派:明治維新にならって、近代国家になりたい!
親中派:清との関係を重視して、欧米に対抗したーい!
そんななか1884(明治17)年に甲申政変が起きます。
日本の協力を得て国内を改革しようとする
独立党の金玉均(キムオクキュン)らによる
クーデター、それが甲申政変です。
甲申政変と呼ばれるこの事件では、
清国が朝鮮に軍隊を送り鎮圧したため、
このクーデターは失敗に終りました。
この甲申政変によって、
東アジアでの勢力争いはどうなったかというと…
日本:後退
清(中国):前進
勢力が後退した日本は、清に対抗しようと、
軍備増強を図ります。
いまでは、反対運動が起きそうですよね。
当時の日本では、
フランス:インドシナを占領
ロシア:シベリア鉄道の建設
いずれも、アジアに勢力を伸ばすための事柄です。
これらに肩を並べるべく
『朝鮮に進出しないと…日本の発展はない!』
それが、日本の世論でした。
ちょっと以前に勉強した『征韓論』がまだまだ、続いていた…
ということでしょうか。
今日は、この辺でおしまいにします。