『きよしこの夜』

2015年12月24日 11:23
この歌に込められたメッセージ
 
・人は優しくあるべき
・互いを許し 共に暮らし
・理解し合う努力を…
 
というわりに紛争の多いヨーロッパですが…
さてさて、この曲の由来はというと…
初めて演奏されたのが、1818年のクリスマス・イブ。
 
場所:オーストリアの小さな町­の教会
     ( オーベルンドルフ(Oberndorf)という町… ザルツブルク(Salzb­urg)のそばだそうです )
聞いてた人:船で働く労働者とその家族たち
作詞:ヨゼフ・モール(Joseph Mohr)司祭 ( 1816年 )
作曲:司祭の友人のフランツ・クサーヴァー・グルーバー(Franz Xaver Gruber) ( 1818年 )
 
作曲したフランツは、喫茶店の名前では、ありません。
職業は、教師、指揮者、そして、オルガン奏者。
 
日本では、この頃…江戸時代。
『ちょんまげ、ちょんまげ、ちょんまげマーチ、ごじゃるでごじゃる…♪』
ちょんまげだらけ、第11代将軍徳川家斉将軍が、たびたび来日する外国船にびびり、
日本に近づく船には、撃ちまくれ-!と1825年には異国船打ち払い令を出しちゃった時代。
しかも、すぐそのあと天保のききん、大塩の乱と江戸幕府をビビらせるニュースが満載の時期でした。
 
そんなとき、オーストリアでは、
『きよしこの夜♪』
だったんです。
ロマンチックな夜をすごしてたんでしょうね。いえ、そうでもなかったです。戦争が…多かったと聞いてます。

ちょっとしたエピソードが…
実は教会のオルガンはネズミにかじられて使えませんでした。そこで、ギターで演奏をしたモール司祭。
さっすが…臨機応変のモール司祭。
 
1854年、グルーバー氏は
「クリスマスキャロル『きよしこ­の夜』の起源についての本当の話」という本を書いて、
「広くみんなに受け入れられた」と回想しています。
 
もうひとつ、この曲にまつわるエピソードがあります。
 
この曲、大ヒットしたのですが、どのように広まったのか、だれも知らなんです。
こんなに有名な曲がヒットした理由がわからない謎の曲なんです。
 
もともとドイツ語の歌。すぐに英語に訳され歌われました。そして、全世界でさまざまな言語に訳され、
親しまれています。
 
キリスト教宣教師らにより広められたとはいえ、これだけ有名になったロマンチックな歌…すばらしいですね。
19世紀には、全世界で歌われ、みんなでロマンチックな気分にひたっていた…
 
だったら、もう少し、紛争が減ってもよさそうなもんだけど…
 
宗教にこだわることはないけれど、もとはと言えば、ゲルマン人の冬至祭からはじまったクリスマス。
 
12月24日は、『紛争をしない日』なんていう日を作ってくれないかなぁ…

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