この世に生まれた私

2015年03月31日 09:44

私が生まれた時のお話。

 

正直な話、私の父と母の馴れ初めも知らないし、

 

いつ結婚したかも知らないのです。

 

では、わたしの『育児日記』

 

そして、あの『母子手帳』から

 

手がかりを拾ってみることにします。

 

育児日記より抜粋

 

・生まれるまでの記録


12月14日午後10時半(父による記述です)

 

友子(何を隠そう私の母です)は階下の分娩室、

 

西野と斉藤の姉が、三号室

 

友子の床に並べて機械的に素早く

 

小さな赤ん坊用の床を準備する。

 

俺は傍らに毛布にくるまって横になり、

 

期待と俯瞰を持って此の床の主の来るのを待った。

 

・出生の日


昭和39年12月14日

 

時刻:午後11時10分

 

命名:真一

 

その由来:

 

常に真理を深究し真実に忠実であるように。

 

両親の願い:

 

 父:健康で神経の太い心の優しい子になるように。

 

 母:(1)成せば成る成さねば成らぬ何事も。

      (努力すれば何事も成功する)

 

   (2)青山元不動 白雲自ずからゆうゆう

      (自分の意思を硬くしてれば、他人の中をゆうゆうわたれる)

 

・生まれた時の記録


体重:36kg

 

身長:51cm

 

胸囲:33cm

 

頭囲:33cm

 

生まれた場所:東京都大田区

 

お産の状況:

 

13日 10:00p.m. 検診、子宮口内側一指開孔、

 

14日 04:00a.m.~08:00a.m. 10分間隔10秒間の陣痛

 

    08:00a.m. 朝食 パン三切、牛乳二本、煮たもの

 

    08:00a.m.~04:00p.m. 5分間隔20秒間の陣痛

 

    04:00p.m.~06:00p.m. 3分間隔30秒間の陣痛、晝及夕食攝らず

 

    06:00p.m.~08:00p.m. 1分間隔30秒間の陣痛

 

    08:00p.m.~11:10p.m. 1分間隔1分間の陣痛

 

    08:30p.m. 子宮口の開きが狭く陣痛ノミ激しいため帝王切開に決定

 

            奥村先生に電話

 

    10:00p.m. 奥村先生 千葉より到着

 

    10:50p.m. 手術開始(全身麻酔)

 

    11:10p.m. 誕生

 

    11:30p.m. 手術終了 奥村先生 帰宅

 

    12:00p.m. 友子 意識回復

 

・両親の年齢


 父  弘:32歳2.5ヶ月

 

 母 友子:31歳11.5月

 

・家庭状況


 住所 東京都荒川区日暮里町

 

    国電日暮里駅より約3分 木造モルタルのアパートに住む

 

    下3軒、上3軒、6軒一棟の二階、3疊、4疊半南向き

 

 父  弘 港区K設計事務所に製図課長として勤務

 

 母 友子 足立区北千住 I病院に産婦人科医師として勤務

 

 ここまで、書いて、わかったと思いますが、かなり父は几帳面に書き記しています。

 

もちろん、初めての子育てということもあるでしょうが、非常に細かく記されています。

 

しかも、生まれたとき、わたしは、大きかったです。当然ながら、生まれる前も、

 

おなかに買い物かごがのっかるくらい大きかったといわれました。

 

いまでこそ、あまり、目立ちませんが、当時としては、かなり大きな

 

赤ちゃんだったのです。もっとも、母は、小柄だったので、なおさらだったと

 

思います。そんなわたしを初めて授かったのがこの父と母でした。

 

とても、大事に育てられたのをいまだに、覚えています。ただ、のちのち、それが

 

よくなかった…と言われました。

 

愛情を注いで、ガラスの人形を抱くように育ててしまったのは

 

間違いだと言われたのは、ずっと私が大きくなってからのことです。

 

わたしの両親の教育観は

 

自分を育てるとき、間違っていたことに気付くのにだいぶかかったのです。

 

そのことについては、また、別な機会に記述したいと思います。

 

父の育児日記は、まだまだ、詳細が続きます。

 

それについては、またの機会に書くことにして、

 

今日は、ここまでにしておきます。続きは、また、編集して、ここに、書きたします。

 

というわけで、少々、付け足します。

 

本名は、少々、気がひけますので、控えさせていただきます。

 

 

・出産を祝ってくださった方々の控え


 お祝いに来てくださった方々


 12月15日 朝 H. すゞ 様

        昼 O. 良太郎、扶美枝 様

 

 12月16日 昼 武田 英 O. 良太郎、扶美枝 様

          西野 たけし 様

 

 12月17日 朝 H.沙千代 様

        午後 H.総男 様


 12月29日 I病院 看護婦長

 

 12月30日 家主 S. 俊子 様

 

 お祝いにいただいた品々


 西野御夫妻 アマンドの焼西菓子

       靴下

 

 H.すゞ  おむつ 六反

 

 田中様   どてら綿入り、セーター、

       カステラ一箱

 

 斉藤様   着物綿入り、ちゃんちゃんこ

       ベビー服一式(2~3ヶ月児用)

 

 武田 英、O.様

       カステラ一箱、果物缶詰一箱

 

 K設計製図課

       オモチャ2点

 

 K設計事務所 御祝 ¥2,000

 

 I病院看護婦有志

       毛糸

 

 I病院院長 御祝  ¥2,000

 

 I病院よりお歳暮兼 味の素箱詰 一箱

 

 I病院看護婦長及御見舞(果物、バナナ)

 

 家主 S. 俊子様

 

 為政様  タオルケット

 

 千楽部長 ベビー服セット

 

 三浦 清 おぶりひも及掛布団

 

 ざっと、こんな感じで記されています。

 

 当時の世相がわかりますね。御祝に2千円ですから。

 

 給料がどれだけだったが、想像できると思います。

 

 そして、おむつは、紙おむつではないですよ。布おむつです。

 

 今風でいえば、再利用可能おむつでしょうか。

 

 汚したのを洗うのは、とっても大変ですよ。

 

 それだけに、我が子に対する愛情も注がれたことと思います。

 

 ここまで、書いていて、当時の寒さ、そして、はじめての我が子を

 

 授かった両親の情景がなんとなくおぼろげながら、見えてきたような

 

 気がします。

 

 このあとは、私が生まれて『一日目』の内容へとうつっていきます。

 

一日目( 12月14日 月曜日 )

 

 元気よく精いっぱい泣きますね。 Yes

 

 皮膚がまっかで、みずみずしいですね。 Yes

 

 腕や足をからだにくっつけるように曲げて、よく動かしますね。 Yes

 

 朝方四時より微弱なる陣痛、朝食にパン三切れ、牛乳二本

 

 痛みの毎に吐き気を催すので、昼食を摂らず

 

 午後六時頃より激痛に変わるも子宮孔一指半

 

 八時 斉藤の姉と相談の上、切開に決定、準備

 

 八時三十分 西野夫妻 到着

 

 十時四十分 奥村先生 到着

 

 十時五十分 奥村先生 執刀

 

 斉藤和子先生 助手 斉藤裕先生 麻酔 西野光子先生 賛助

 

 武田 弘 立会

 

 手術 開始

 

 十一時十分 誕生

 

 直ちに島筒助産婦さんの手で初湯

 

 二階三号室で眠る

 

 十一時三十分 手術完了

 

 十二時 麻酔さめる

 

 これが、わたしの栄えあるこの世に生まれた日。私は全く覚えていません。

 

 ただただ、泣く、寝る、乳をのむの繰り返しだったにちがいないです。

 

 そう、ほかでもない、ここは東京都大田区の病院の一室でした。

 

 あ、この父の育児日記を読んでいるうちに

 

 私はある間違いをずっと犯していることに気づきました。

 

 それは、わたしの生まれた日を12月14日の『木曜日』と思い続けていました。

 

 でも、父の日記では、『月曜日』。これは、大発見です。

 

 それでは、二日目をどうぞ。

 

二日目( 12月15日 火曜日 )

 

 乳首にうまく吸いつきますね。 Yes

 

 胎便はできましたね。 Yes

 

 睾丸は陰のうの中におりていますね。 Yes

 

 泣いたとき顔がゆがみませんね。 Yes

 

 むずかったりせず、すやすや眠っていますね。 Yes

 

 それでは、また。次回まで、お待ちください。 

 

(つづく)

 

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