ついこの間も、私は、『日系人』の定義がわからなかった。全く、理解に苦しんだ。いまでも、わからない。
わたしにとっては、とっても不明瞭なのだ。一応、定義があるのだが、よく考えてみるとこの『日系人』とは、
一体、何者なのだろう。わたしは、日本人なのだろうか?本当に胸を張って日本人といってよいのだろうか。
いやいや、二十二年もブラジルに住めば、日系人だろうか。もう、どっちだかわからない。
そんなことが頭によぎる。しかも、わたしは、ずっと、日本人だと思っていた。いや、日本人に間違いないだろう。
うーん、本当のところ、どっちなのだろう。
というわけで、ちょっと調べてみた。すると、次のようなことが分かってきたのである。
まず、戦前の『移民』を見てみよう。なんで、『移民』かといえば、日本を離れないと、
『日系人』になれないと思うからだ。
日本を離れる、つまり、そういう人を『移民』というだろう。だから、『移民』の定義を探してみた。
あるある、見つけた。えっと、こう書いてある。『労働を目的として外国に渡航する者』それが、『移民』である。
しかも、そういう人々を『邦人』とも呼んでいた。うん、ちょっと、わかってきた。戦後はというと、
『他国に定着することを目的とする人』が『邦人』であり、一時滞在者についても『邦人』となり、
『移民』と区別されて使われるようになったそうだ。しかも、この『移民』たちが定着してできたコミュニティが、
戦前は、『在伯同胞社会』と呼ばれ、戦後は、『日系コロニア』『日系社会』であったそうだ。
そして、そのコミュニティを構成するのがわたしの知りたい『日系人』ということになる。
日本側や外務省の『日系人』の定義は、『日本国籍を有さないが、民族的に日本系と考え得る者』
というものである。これでは、ちょっと、という意見がいま、出ている。つまり、『血統だけではその範囲を
画し得ない』というのだ。また、ローマ字の『nikkei』は、どうだろう。先祖に依存する問題ではなくて、
『state of mind』を扱う問題であり、『nikkei』とは、『日系コミュニティと価値を共有する人たち』であり、
『一人以上の日本人の先祖を持つ人、(そして/あるいは)自分で『nikkei』であるという
アイデンティティを持つ人』だそうだ。精神的な面も含めた『日系人』の考え方だ。
だいぶ、納得できる説明にぶつかった。
つまり、私にあてはめると、一体、どうなるのだろう。
まず、わたしの国籍は、間違いなく『日本国』。だとすると、やはり、『日本人』とわたしが、思い続けていれば、
私はいつまでも、『日本人』だろうか。いや、待て。『日系人』のような気もする。しかも『一世』かもしれない。
ちょっと、まって。じゃあ、わたしは、『一世?』。『一世 = 日本人?』っていうこと。
でも、『日系人?』だって。どういうこと?つまり、わたしは…
( 次回に続く )