011公民「社会権」について

2017年10月15日 07:00

 人間に値する生活保障を国家に請求する権利のことです。もっと簡単に言えば、社会を生きていく上で人間が人間らしく生きるための権利ということです。20世紀に入ってから、基本的人権に加えられました。一般的には生存権、十分な生活水準を確保する権利、教育を受ける権利、労働基本権、社会保障の権利など基本的人権で保障されるこれらの権利の総称が社会権なのです。

 1850年ころまでは、自由に生きる権利、自由権の獲得が世界の主流でした。国民が自由に生きる権利を保障する国家がたくさんできたのです。つまり、国家はなるべく社会へ干渉をしないというのが一般的だったのです。ところが、19世紀末から20世紀にかけ、敬座状況が悪化し、もっと人間らしく生きたいという考えが生まれたのです。ただ、自由に生きても、自由に生きることによって、競争が生まれ、社会は進歩します。この競争に勝った人はいい生活ができますが、負けてしまった人は、勝った人達にくらべ、かなりの労働を虐(しいた)げられますね。自由放任にしてしまうと、財産や経済力が人を支配しはじめ、生活に困ってしまう人が出てきたんです。そこで、それまでは無関心、というより、なるべく干渉しなかった部分に国家は干渉するようになったのです。国家によって経済生活への関与や利害調整をするように世界は変わっていったのです。また、老人や子どもや病気の人などの自分で生計を立てるのが困難な人達に対する援助も国家は手掛けるようになっていったのです。
 国家は、自由放任から、「社会国家」「福祉国家」へと変わっていったのです。このような考え方を憲法に盛り込んだのは、ドイツのワイマール憲法やフランス憲法やイタリア共和国憲法です。いずれも、第一次世界大戦後のことです。ごく最近のことですね。

 国家が関係しない、つまり、自由にいきる権利を確保するだけの「自由権」を「消極的権利」とも言います。また、国家が関係しないと、なかなか実現が難しい権利が「社会権」とも言えますね。したがって、「積極的権利」とも呼ばれているんです。

 日本国憲法については、

日本国憲法第25条(生存権)、

日本国憲法第26条(教育権)、

日本国憲法第27条(労働権)、

日本国憲法第28条(労働基本権)

に定められている権利を社会権だとされています。

 ところで、自由に生きる権利(自由権)と人間らしく生きる権利(社会権)は、二つにはっきりと分けることができるのでしょうか。

 なぜなら、教育を受ける権利と教育の自由、労働基本権と団結の自由、新しい人権として学習権、環境権...自由権にも社会権にも含まれる内容の権利が生まれてきているのです。現在の考え方としては、はっきり分けずにお互いに別々のものだけれども、お互いに関連し合っている権利だという風に考えられているのです。

 1993年にウィーンで開催された世界人権会議では、『市民的、政治的権利』(自由権、ないし消極的自由)と『経済的、社会的、文化的権利』(社会権、ないし積極的自由)の伝統的な区分を批判されました。そして、『人権の普遍性、不可分性、相互依存性、相互関連性』を主張するウィーン宣言及び行動計画を採択されたのです。

 人々が生きる世界の状況が変われば、人々が主張する権利も変わるということです。昔は、農業が主流でした。それが、産業革命が起こり、イギリスを中心に世界の人々の生活環境が変わり、労働内容も変化していきました。それに伴い、市民が主張したい権利も変化を遂げていったのです。奴隷として働かされていた人々は自由を求めました。社会的弱者と言われる子どもは女性たちは搾取され、人間らしく生きたいと考え始めたのです。そして、今は、学習権や環境権などさまざまな権利を主張するようになってきたのです。

 いろいろ歴史を調べていくと、公民も面白くなると思います。すべてが別々な学問というよりも、相互に関係しあっている学問であり、総合的な学習をすることによって色んなことを理解できることになるでしょう。


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