「国には都から国司(こくし)が派遣(はけん)され、地方の豪族が任命された郡司(ぐんじ)を指揮して政治を行いました。」
この文章の意味がわかるでしょうか。平城京ができた頃の説明文。
国と地方の関係、どのように行政が行われていたのか、管理されていたのかを説明している一文であるが、
うーんと唸ってしまう人も多いと思います。
史実を知っている人には理解ができるが、これから歴史を始めようとする人には難解な文章ですね。
少しずつ分析してみると…
国には都から国司(こくし)が派遣(はけん)され、
まず、この部分は、
当時の日本は、
都(みやこ)=平城京
国=地方の都市 824年現在、66国、2島あったそうです。
つまり、
当時の日本は、天皇を中心とする中央集権国家を目指していました。そのため、律令国家になることにしたのです。
そして、大きな平城京を築くことで、日本全国を統一しようとしたのです。
日本全国を統一するためには、平城京から国司を派遣することで、その国の行政を司るようにしたわけです。
地方の豪族が任命された郡司(ぐんじ)を指揮して政治を行いました。
さて、この部分は、
郡司(ぐんじ)というのは、その国の農民たちを管理する役人です。
郡司(ぐんじ)となる人を推薦するのが、国司(こくし)。国司(こくし)に推薦されるのは、
たいていが地方の豪族です。つまり、国司(こくし)は、人事任命権もあると言って良いでしょう。
その推薦された郡司(ぐんじ)候補は、式部省まで赴いて、試問を受けて合格すれば、郡司(ぐんじ)となり、
2〜20里を管理したのです。
つまり、国司(こくし)は、平城京から派遣され、地方の豪族を郡司(ぐんじ)に推薦し、
その郡司(ぐんじ)が、その国の農民たちを管理していたのです。
実は、郡司(ぐんじ)の下には、里長(りちょう)がいて、50戸程度、管理していたそうです。
この頃から、日本は、縦社会だったのですね。
難解な説明文もここまで来れば、大体、なーるほどということになると思います。
教科書というのは、字数制限もあり、説明文を書く側も、結構、苦労しているのです。
それでも、このように、細かく調べていくと、なんとなく、隠されていた史実が朧げながら、見えてきますね。
教科書って、読めば読むほど、眠くなるのは、こんな難解な説明文があるからだと思います。
そんな時は、どういうことなのか、一つ一つ、わからない語彙を調べながら、理解できるように努力すると
なんとなく見えてくることもあるものです。
文句をいうのは簡単ですが、目的は、学習することにあるので、
自身の向上心を上向きにする方法を考えた方が、有意義な時間を過ごすことができるでしょう。
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