これはまだ、解明されていないことも多く、非常にむずかしい問題です。
いくつかの視点から『日本』の起源について、考えてみましょう。
今から1900年以上も昔、日本には、もともとたくさんの小さな国がありました。
ここで、『日本には、、、』と書くとちょっと、誤解をしてしまいますよね。
『このころ、今の日本のあたりには、、、』とした方が適切かもしれません。
とにかく、それぞれの小さな国は、いろいろな名前でよばれていました。
当時は、まだ『日本』というひとつの国にまとまってはいませんでした。
その後、これらの国がしだいにまとまってきたのです。
そう、みなさんがご存知の『ヤマト』という名前の国です。
では、このころ日本を中国人はどのように見ていたのでしょう。
中国人は、日本のことを「倭(わ)の国」とよんでいました。
なにもかも、『ちっちゃな国』、つまり、『取るに足らない国』というイメージだったんです。
もちろん、『日本』という国としての存在感もあまりなかったことでしょう。
だから、当時の『日本』は、朝貢という形で、大陸に使節を送っていましたよね。
ただ、この『ヤマト』もしだいに大きくなっていきました。
国としての力もついてきたのです。
ちょっと、強くなった当時の日本。そろそろ、認めてもらいたいですよね。
そこで今から1400年ほど前、『ヤマト』の国の聖徳太子(しょうとくたいし)という人が
中国に手紙を書いたのです。このときに使われた国名は、『日いづるところ(太陽が昇る国)』。
そして、この「日いずるところ」→「ひのもと」→「日本」というように
変わったと言われています。
では、天皇を中心に考えてみると、、、『日本』は、いつできたのでしょうか。
天皇(大王おおきみと言っていたが)の初代は、、、
紀元前660年に即位した神武天皇といわれています。
『建国記念の日』ってありますよね。そうそう、祝日で、2月11日です。
昔は、『紀元節』と言っていました。戦後、占領軍の意向で祝日から削除されたのです。
ふたたび祝日になったのは、1967年のこと。
そのとき、『紀元節』から『建国記念の日』と名前が変わったのです。
ちなみに、この『建国記念』と『日』の間にある『の』って、とっても重要な意味があるんですよ。
興味のある人は調べてみましょう。
この『の』がなかったら、2月11日は、祝日にならなかったかも知れませんよ。
話がだいぶ脱線してしまいましたが、、、神武天皇が即位したときを日本ができたとすると、、
古墳時代以前ということになりますよね。
年表で確かめてみると、、、弥生時代が始まるか始まらないかぐらいでしょうか。
もっとも、弥生時代がいつからかというと、、、それも定かではないのですが、
紀元前4世紀ごろ、稲作が大陸から移り住んだ人々によって当時の『日本』に伝えられたころを
弥生時代が始まったととすると、弥生時代以前、、、
つまり、縄文時代に『日本』ができたということになりますよね。
とにかく、ずーと、昔の話ということになりますね。
では、『日本』の領土に目を向けてみましょう。
『日本』の領土は、現在のものよりもずっと小さく、現在の『日本』をイメージしないようにしましょう。
そして、『天皇』や『日本』という言葉を使いはじめたのは、天智天皇、天武天皇ごろからのことです。
それまでは、『大王(おおきみ)』でしたよね。
したがって、7世紀ころでしょう。ちなみに、「日本」を「ひのもと」と読むこともあったと前述しましたね。
それから、北海道から沖縄まで、日本になったのは江戸時代のことです。
では、それまではというと、基本的に九州から東北地方にかけてが『日本』だったといってよいでしょう。
そして、明治時代から昭和時代にかけては、『大日本帝国』とよんでいました。
余談ですが、一時、日本は、中国や東南アジアなどを領土にしていたので『大東亜帝国』ともよんでいました。
沖縄や、小笠原諸島は一時、アメリカ領になりましたが、
戦後、現在にいたるまで、『日本国』と言う名前になったのです。
うーん、結局、『日本』って、いつできたんでしょうね。
いまのところ、まだ、はっきりとしたことは、わかっていないのが現状なのです。