質問箱
議院内閣制:立法と行政の関係です。
難しくいえば、国民が代表者を選出して、その選ばれた代表者が国民に代わって
政治を行う制度のことを議院内閣制といいます。
もっと詳しく言えば、内閣が議会(国会)の信任にもとづいて、つくられています。
その議会(国会)に対して内閣は責任を持つのです。
どうしてかといえば、内閣は議会(国会)に信任されていますから。
その目的は、内閣が国民の代表者からなる議会(国会)を無視して
勝手な政治を行わせないようにすることなのです。
ですから、日本の内閣は、衆議院で不信任の決議をされてしまうと、
『内閣を総辞職させる』か『衆議院を解散させる』かの究極の選択をせまられるわけで
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ミレニアム開発目標(MDGs),ポスト2015年開発目標(ポストMDGs)
ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals:...
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ドント方式とは、各政党の総得票数を
それぞれ1,2,3,4・・・と自然数で割っていき、
得られた商(得票数)の大きい順に議席を配分する方式です。
参議院・衆議院の比例代表選挙などに用いられています。
ドント方式の例(定数10の場合)
政党名
○○党
××党
△△党
◇◇党
総得票数
1,200
1,000
700
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フィンランドに侵攻したため、ソ連は国際連盟を除名されたのです。
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『Ombudsperson』です。
ちなみに、Ombudsmanの『man』が女性差別につながると考えられ、
『person』に置き換えられました。
ところで、『Ombudsperson(Ombudsman)』ってなんでしょうか。
苦情調査官のこと。役所や公務員の違法行為を監視します。
行政に関する苦情を調査・処理する機関、または人をさしています。
では、『オンブズパーソン制度』とは、どういう制度でしょうか。
オンブズマンを置いて、市民の側からの行政に対する苦情を処理したり、
それを監察したりする制度のことをいいます。
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EEC( European Economic Community ) つまり、ヨーロッパ経済共同体は、
1958年に設立されたベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダ
との間での経済統合を実現することを目的とする国際機関が発足しました。
そして、EC( European Community )ヨーロッパ共同体が、1967年に6か国で
発足したのです。ECは経済的統合を進めてきましたが、
2009年のリスボン条約が発効されたことによって、廃止されました。
その変わり、政治統合へ拡大していくことをめざしたEU(European Union)が
1993年に発足したのです。
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結論からいえば、、政党は『非営利の任意団体』なので、
『誰でも、いつでも、すぐにでも作れる』
のです。ということは、政党を作るには登記も、認証も必要ありません。
ところが、、、、、、です。
『任意団体政党』は、弱小政党になる可能性が高いです。
というのも、選挙活動をするには、お金がかかりますよね。
そのためには、政党は、『政党交付金』を受け取りたいはずなのです。
献金ばかりに頼るのも、心配ですよね。
もしかしたら、つかまってしまうという危険性もありますよね。
ですから、任意団体としての政党の政治的な活動は制限されてしまうのです。
では、どうしたらよいのでしょうか。
そこで、まず、政党を定義して
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古代は、3世紀ごろを古代の始めとするのが有力な説です。
ここに、各時代区分の区切りを書いておきます。
ただ、これは、あくまでも日本の時代区分です。
国ごとに時代区分はちがいますので、ご注意ください。
しかも、後述しますが、日本においても、時代区分の考え方が違います。
『日本の時代区分』
原始:旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代(古代大和国家が成立するまで)
古代:古代大和国家の成立から飛鳥時代・奈良時代・平安時代(平家政権が成立するまで)
中世:平家政権の成立後から鎌倉時代・室町時代(織田信長が畿内で台頭するまで)
近世:織田信長の畿内での台頭後から安
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日本書紀によると、646年正月の改新の詔において
「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」とあります。
これが、班田収授法のはじめとする説があります。
ところが、この改新の詔に関して、疑問を唱える学者が
多々見られ、班田収授法がこのときに施行されたとはいいきれません。
したがって、班田収授法の発足は、初めて戸籍が作成された年である670年、
または、飛鳥浄御原令という法律が制定された689年以降ではないかと
考えられているので、
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アーリア人は元々インドに住んでいたそうです。
そして、中央アジアやイランへ広がり、更にロシアや東欧まで移り住んでいきました。
もともと、紀元前15世紀以降にイラン・アーリア人と言われる人々が拡大していったと
言われています。
ちなみに、『アーリア』って、『高貴な』というサンスクリット語で、
『他の民俗よりも高貴な民族』とアーリア人たちは言っていたそうですよ。
どことなく、日本人の考えと似ているようなきもしますね。
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